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由来と歴史

「加賀田神社創建の年は詳(つまびやか)ならず、単に11月卯日(うのひ)に宇佐八幡を勧請(かんじょう)したり」(大阪府全志巻之四)と、又「当山社地縁起由来書記録並座衆由緒調書之事」(1859年)によっても「それ当氏神鎮守八幡宮(とううじがみちんじゅはちまんぐう)は、往古宇佐八幡宮を勧請奉り」とあるとおり、いつ創建されたかわからないが、「文明11年(1480年)社殿を再建せり」とあるので、520年以上の歴史をもっていることになります。


           
           「当山社地縁起由来書記録並座衆由緒調書之事」(1859年)
           (平成12年12月に表装)

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 慶長4年(1599年)作成の社地境内有姿の図(現存)によると、本殿 拝殿 経堂 玉垣の外の境内には泉福寺があって、奥ノ坊 北ノ坊 南の坊 宮の坊 薬師堂がある立派なものであった。ところが、文禄3年(1595年)秀吉の検地によって社領を没収され、無禄になった為に坊舎は漸次頽廃して、僅かに本殿 拝殿 末社神具庫 及び薬師堂だけになった。




       原図は、縦 138cm 横 87cmの極彩色の立派なものです。


元禄16年(1703年)氏子で堺に住んでいた谷善右衛門が私財を投じて社殿を改修したのが現存の本殿である。嘉永6年(1853年)火災で拝殿 薬師堂 中門 玉垣が焼失し、安政5年(1858年)になって再建し、現存の社殿になった。明治41年(1908年)唐久谷村社の和佐神社 素盞嗚命(すさのおのみこと) たかおかみを合祀され、更に石仏村の上山(かみのやま)八幡宮 誉田社別命(ほんだわけのみこと)と天神さん(菅原道真)が合祀された。

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